マテリアルマインド(=自我の私)も神
こんにちは。
スピリットマインド編集部のいづみです。
また、カタカムナの話をします。
・カタ(体、見えるもの)
・カム(エネルギー、見えないもの)
私たちも、この物質世界も、カタとカムの合わせ技でここに存在しているよ、というのがカタカムナです。
この分け方で言うと、マテリアルマインドって、「カタ」に付随するマインド、と言うことになります。見える側の都合を優先して取り仕切るマインド。
エゴって言われたり、自我って言われたり。
そして、スピリチュアル界では何かとこれらにダメ出しをしますよね。
その一方で、エネルギーの方の領域については、何かと尊敬します。
ハイヤーセルフって言ったり、高次元って言ったりして。
でも、カタカムナは面白くて、カタ(=人間)とカム(=神)は対等だって言うんですよ。
カム(神)はカタ(体)がなければ、ここに出てこれないんです。
だから、永遠のカム(神)から見れば、滅びゆくカタ(体)こそが神だと言うんです。
これはなかなか新鮮な見方でしょ。
物質(=マテリアル)を神に昇格させてるなんて。
エネルギーにとって、体で体験する五感の感覚を味わうのが、どれほどの喜びか。
命のシステムを使って、ようやっと体験できるこの感覚、この世界。
この時空間の中で、自分の「動」や「流」を表すことができる。
でも、体にとっても、おんなじで、生命エネルギーがなければ、ただの抜け殻。
萎んだ風船、干上がった川と同じで、全然あり方が違ってしまう。
今、マテリアルマインド(自我)が小さくなっていってる最中で、何かとマテリアルマインドが悪者扱いされがちだけど、マテリアルマインドは、この世に現れた表現の実態を最前線で維持、管理している、大事な創造の柱だもの。
そこに敬意を払っていたカタカムナ人の見方、、、なんと大きいこと。
恒美さんは言います。
「神様から与えられたすべての感覚を使って、物質的なものをどのように感じて、どのように楽しんで、何を創造して、どのようにこの3次元で光を輝かせていくか、ということ。
それが、ここに生まれた人たちの使命。」
これをするには、両方のマインドがなければ、できません。
大事にしてあげたいです。
我を忘れて暴走しているマテリアルマインドに気づいたら。
「よし、よし。」って。
パニックになっている大事な子供を、落ち着かせてあげて下さい。
そうやって、私たちは、一回り大きな視点を育むと同時に、「自分」というものを通して、全てを受容する愛を教わっているんじゃないかなぁ。。。
マテリアルマインドって、罰せられたり、忌み嫌われたりされがちですが、その素晴らしさ、その大いなる働きを理解した時、この物質界の見え方が変わってくるなぁ、、と私は常々思います。
また、改めて、マテリアルマインド(自我)について、感じていることを書いてみようと思います。
ではでは、またね😉。
バイバーイ👋💓。