言葉と未来
こんにちは。
スピリットマインド編集部のいづみです。
ちょっと前に、恒美さんとミーティングをしていた時、こんな話があったのです。
この世界は、全体の仕組みの中で、目に見える段階になったものだけを扱う世界だって。
どういう事かというと、自分の体で言えば、毎日ちょっとづつ爪が伸びています。
それは、この世界を成り立たせている大きな自然の仕組みが動いてて、その営みの結果、下から新しい部分が現れて、爪が伸びてくる。。。。
でも、まぁ、爪が伸びたのに気づいた時に、「あ、そろそろ爪を切らなきゃ。」という発想は出ても、その営み、次元をまたいで動いている見えないシステムを思うことはまずありません。
髪の毛も、春の筍も、湧き出る泉も、温泉も、下から自然に現れてくるのですが、私たちがそれらを扱うのは、現れた後、この世界の生活事情に合わせて扱います。
もう、出てくるのが当たり前すぎて、全体のシステムを想ったり、感じたりする事って、ほとんどないですよね。
この世界は、現れてからの世界、
その前のことは当たり前の仕組み以上には考えない世界、なのだそうです。
なるほど、そうですね。
いろんな事、当たり前として慣れ切ってしまって、考えずに扱っています。
そんな世界の中で、言葉っていうのは、すごいな、と思います。
手で触って扱えるものじゃなくても、目ではっきりと捉えられるものじゃなくても、口に出して音でそれを指し示すことができれば、扱えるものになります。
例えば、ちょっと前、変わった特性の人、意識のフォーカスがポンポン飛んで、忘れ物が多くて、片付けが苦手で、、そういう人がいた時、その人の特性を説明するのに、いろんな角度から、いろんな言葉で説明するの、骨が折れました。
でも、今、「あの人は、ADHDだから、、、」という短い説明で、大体、どんな感じか通じることが多くなりました。
知り合いの娘さんが、そんな自分の特性のために長年、自分にダメ出しし続けていたのですが、時代が進んで、発達障害と診断されて、ほっとしたそうです。
自分がダメなんじゃない、自分はそういうコンディションなんだ、っていうことがわかったから。
状態に名前をつけて、広く認知されたら、社会で簡単に共通認識を持って扱えるようになっちゃった。
”セクハラ”とかも昔なかったですよね。
昔は、その状況を言い表そうとすると、「なんか、やたら近くに来て、肩とか揉んできて、こっちは違和感あるから、勘弁してほしいんだけど、、、」とかなんとか、困りながらなんとか説明してたんだけど、今は、「セクハラで困ってます。」と言えば、通じます。
言葉を当てはめることに、良し悪しはあると思います。
型にはめちゃうわけだから、本当は理解が足りてなくても、言葉を使う事でわかった気になっちゃったり、その言葉自体に、感情がくっついちゃって、偏見を育んじゃったり。
ただ、この、基本は五感に引っかかるものしか扱えない制限のある世界の中で、言葉は別格で、五感以上の感覚のことを捉えて、現すことをします。
そして、多くの人が、言葉によって共通認識を持ち、それによって人間社会のルールや流れが作られています。
カタカムナでは、言葉の秘密が示されています。
私たちが「あ」と発音した時、「あ」という音が持つ、独特のエネルギーが見えない世界で発動している、というのです。
私たちは、何気なく「これは車」、「これは机」とものの名前を扱っていますが、車が「く・る・ま」と言う音の名前になったのは、車がその音が現す本質を持っていて、無意識のうちにその本質にあった音で名づけさせられている、という考え方をします。
じゃ、なんで「車」は「く・る・ま」なの?とかいう話は、カタカムナの話になっちゃうので、省きますが。。
恒美さんによると、私たちは、これから、顕在意識と潜在意識を仕切っているベールが取り除かれていくそうです。
そうなったらきっと、私たちは、みんなで、音(言葉)を使った創造を意図的にし始めるかも。。。。
昔から、一部の人たちが祈りや祝詞、マントラを口にしてきた意味が、私たちの感覚の広がりと共に、響いてくるかもしれませんね。
なんて想像が広がっちゃいました😁。
世界の深淵を想像するのって、ホント、楽しい。
というわけで、今日は、ここまでにします。
ではね😁。
バイバーイ👋!