何者にもなれなかった自分は、生きていても価値が無い?
最近「生きるのが虚しい」「自分は生きていても意味がない」「こんな自分は生きている価値があるのか」と感じる人が増えている、という記事を見かけました。
その上「40歳になって、何者にもなれなかった自分に絶望する」という趣旨の記事も目にして、ちょっとビックリしました。
上記のように感じるには、それぞれの人にそう感じるだけの理由があるのでしょう。
実は私も「生きるのが虚しい」とか「自分には価値が無い」と思う気持ちは分かります。
生きているうちのかなりの期間、私は自分のことを価値のない人間だと思っていましたし、それこそ幼稚園に通っている頃から「生きるのが虚しい」という虚無的な気持ちにとらわれていたのを覚えています。
でも、「こんな気持ちになるのはおかしい」「これは本当のことではない」と、どこかで思っていて、いつかこの辛い感覚から抜けることができるはず、とラクな感覚になるための私なりの「答え」を、ずっと長い間探し求めてもいました。
私の場合は意識はいつも探し求める方に向いていたので、それ以上は考えずに済んだのかも知れませんが、自分に対して「生きる価値がない」とまで感じてしまうのは辛いですよね……
その上「何者にもなれなかった自分に絶望する」とは、ちょっと穏やかではありません。
そこである日のミーティングで、恒美(ひさみ)さんに、この話をしてみたのです。
そしたら、
「エネルギーがスムーズに循環している人に起こる、自然な流れだね~」
との返事が。
えええっ! そうなの? 自然な流れなの?
恒美さんと話していると、予想斜め上の回答に出会うこともしばしばですが、
この答えにはビックリ。
何故なのか、全然予想がつきません。
恒美さん、自然な流れって、どういうこと?
「それはね、新しいエネルギーの刺激を、私たちが受けている影響なの。
この刺激を、自我の意識のマテリアルマインドで理解すると、そのように感じるの」
そうなんだ……
本質を見るよう促してくる新しいエネルギーの刺激を、マテリアルマインドで受け止めると、
こうなるのは当然ってことなの?
「そう。だからエネルギーの視点から見ると、ちゃんと本質を突かれてるし、流れに乗れてて順調だから、ついおめでとう、って言っちゃう」
出ました! 恒美さんの「おめでとう」が!
以前の記事「『もうダメだ~」って言うと『おめでとう』って言われる」
でも書きましたが、
マテリアルマインドの思考の意識からすると、辛く苦しい経験でも、
エネルギーが視えて全体を把握する恒美さんからすると、「良かったね、おめでとう」って事もあったりするんです。
今回の件も同じ、ってことか……
「あのね、普段私たちが自分と思っている自我の『私』は、全体の私の中のほんの一部なの。
それを私はマテリアルマインドって呼んでるんだけど、この『私』は、外側にたくさんの物質的なものを持つことで、自分が価値のある存在だと思う性質があるのね。外側の持ち物とは、社会的地位とか、学歴とか、お金とか、世の中への影響力とか、どれだけ役に立って、何を成し遂げたか、とか。何をどれだけ持っているか、得ているか。
でもそんな外側を一生懸命揃えて持とうとする『私』は、『根幹の私=外側の持ち物を取っ払った私』には価値が無いと思っているの。
新しいエネルギーのバイブレーションは、本質に向き合うように促して来るでしょう?
それは、外側を積み上げていく前の「根幹の私」が、突かれるということなの。
だから新しいエネルギーがマテリアルマインドの『根幹の私』に触れた時、『自分には価値が無い』『虚しい』って感じてしまうことがよくあるの。
『自分はただ生きているだけ。世の中に何も貢献していない』とか、『自分はいてもいなくても同じ』とか、そんな風に新しいエネルギーの刺激をマイナス要素で解釈してしまう」
そういうことなんだ……
今までの世の中の価値観では、お金とか地位とか肩書きとか権威とか、そういうものを持っている人が重視されてきたし、何をどれだけ成し遂げたかという外側に、多くの人が意識を置いていたと思います。
でも、新しいエネルギーの影響を受けて生きていくこれからの時代では、どんなに外側に持ち物を持っても、何か世の中に通用しなくなってきたり、自分でも満足感を得られなくなるそうなんです。
そんな世の中になっていく中で、それまで一生懸命集めてきた外側の持ち物が通用しなくなるような現実がやってきたら、外側に意識を置き続けている人には相当厳しいよね、恒美さん。
「そうだね、厳しいよね。
でもね、今、『虚しい』『自分には価値が無い』って感じているというのは、外側の色んなものが取っ払われて、マテリアルマインドの『根幹の私』と向き合い始めたってことでもあるよね。
本質の私を感じる入り口に来たサインなの。そういう意味で『おめでとう』なんだよ」
うわぁ~……そうかあ~
話を聞くと、なるほど、と思います。
「この『根幹の私』にたどり着いた時、マイナス要素に解釈してしまうのは、
社会に影響力のある立場の人でも、著名人でも、同じなんだよ」
それはビックリです。
そういえば、「40歳になって、何者にもなれなかった自分に絶望する」という趣旨の記事の中で、対談形式で話をしていた2人は、2人とも活躍し世の中に影響を与えているのではないかという人たちでした。
読んだ時には、メデイアに出て発言しているような人は一般人の私たちとはさすがに違うでしょう、とも思いましたが、そんな風に活躍していても同じように感じるのですね……
恒美さんは続けます。
「だからね、『虚しい』『自分には価値が無い』って感じている自分を発見したら、
『やっとここに来たんだ! Yeah! 』って自分に言って欲しい」
う……Yeahですか……
虚しさに見舞われている時に、Yeahって、言えるかな……
「だって、外側が成功してもしなくても、
満ち足りている『本当の自分』を感じることのできる入り口に、やっと来たんだよ。
ゴールでもあり、入り口でもある場所はもうすぐなの。
元々、私たちはこの3次元に『ただ生きる』ことを楽しみに来てる。
マテリアルマインド(自我)としての私の意識の大きさを自分の全体だと思っているけど、
本当の私の意識はもっと大きいの。
スピリットマインドはもっと大きい意識なんだよ。
これから移行するスピリットマインドの大きな領域に比べたら、マテリアルマインドの私はとってもちっぽけ。新しいエネルギーは大き過ぎて、それに比べてマテリアルマインドがあまりに小さいから、自分に価値が無いと感じちゃうってことでもあるの。
使うマインドを切り替えないと、こう思うのは当たり前なんだよ。
でね、その小さい小さい私が、『虚しい』『私は何も成し遂げていない』『私なんていてもいなくても同じ』『生きている意味がない』とやってても、大丈夫!
今、もっと大きな領域の私に拡大移行している過程なのだから」
そうなんですね。
今、私たちの意識は拡大し、
多次元に繋がってきているそうなのですが、
繋がったゆえ感覚は感じ取るのだけど、
視点は追いつかずに、自我の意識のマテリアルマインドのままなわけです。
そうすると、こんなふうに虚しく受け止めてしまうことも起こるってことなんですね。
「そう。それにこのことを知ると、
この感覚に対しても
『私は古いマインドで理解していたな』
『なるほどね、私、今、流れに乗っているんだ』
ということが分かるんだよ」
なんだか不思議です。
「自分には価値が無い」なんて、とても強く辛い言葉なのに、
恒美さんの話を聞いているうちに、ちょっと楽しくなってきました。
深刻に捉える必要ないんだな、って心から思えてきました。
「深刻に捉えている自分を発見したら、『新しいマインドに切り替わってきている。
大丈夫、大丈夫』
と、自分に言ってあげてね」
はい、恒美さん、了解です……
恒美さんと出会ってもう10年経ちますが、
彼女とお話ししていると、いつも自分の視点にない展開があって、
まずは大抵びっくりします。
それから面白くなったり感動したり、時に悲しく深く考えさせられたり……
そんな驚きの連続に慣れていくうちに、
気がつくと、楽に生きやすくなっている自分を発見します。
今回の記事で、そんな私の体験を少しでもシェアできたら嬉しいです。
まずは半信半疑でいいので、お伝えした視点を取り入れてみてくださいね。
今、虚しさを感じていて「自分には価値が無い」と思っている人に、届きますように……