自分軸に戻る 〜 ひさみ ストーリー ⑧
<32歳>はじめの一歩
暗闇の底に行き着いたような感覚と解き放たれたような安堵感を感じた日から
私のマテリアルマインド(自我)の思考の質に変化が起き始めました。
それは、自然に当たり前のように夕食のメニューを考え出したこと。
自分から何かを創造する動きのある思考です。そしてその思考は、いとも簡単に現実の私を動かしたのです。私は自分の意思で、1人でスーパーに向かっていました。
え?メニューを考える?スーパーに行く?簡単なことでは?と思われた方もいるかもしれません。
でも、うつ状態が続くと、自分の中で光(創造)が循環している感覚を忘れてしまうので、何かを生み出す思考が蘇って動きにつながると、初めは戸惑いを感じるのです。
全てが新しい挑戦の連続のように思えます。
新しい行動という初めの一歩を踏み出してからの私は、
少しずつ、動きのある思考が増え、その思考の質が私を行動へと促し
エネルギーの流れが変わっていきました。
いつも夫に意識を向けていた私が、
今度は、自分自身の内側に意識を向けるようになったのです。
今まで依存する対象に流れていたエネルギーが、新たな創造エネルギーとしてポジティブな形で、自分自身へと循環し始めたのでしょう。
私は毎日一歩一歩、自分軸で歩く練習をしているように感じていました。
自分のペースで、興味を持ったマッサージや占いの学校に通い始めたり、
パートでお仕事をしてみたり。
この頃の私はまだ、10代、20代の頃のようなマテリアルマインドの視点が出ることもありましたが、子供の頃のように、エネルギーの領域スピリットマインドが主役になってきていました。
大きな愛の視点、スピリットマインドの中に、マテリアルマインド(自我)
が大人しく収まってしまったからなのか、、振動数の違いで、恐れの視点を保ち続けることができなくなり、私の意識も大きく変わりました。
不安でも安心みたいな、、怖いけど大丈夫みたいな、、そう、この世界の言葉で言い表そうとすると、どんどん辻褄が合わなくなっていく意識の領域です。(笑)
同じようにスピリットマインドが主役だった子供の頃と違う点は、
私の「エネルギー辞典」にたくさんの章ができていて、すぐに紐解くことができること。
そして、これまでの私と大きく違う点は
マテリアルマインド(自我)が、完全にスピリットマインドに道を明け渡し(降参し?笑)
スピリットマインドの情報を、そのままの質で受け止めるようになったこと。
そして、35歳の誕生日を迎えようとしていた頃、
私の自分軸が活性化し、意識の振動数が変わるのを待っていたかのように、
夫の癌が宣告されました。
Next Story >> 夫の癌宣告から、辿り着いた二つの選択肢 ~ ひさみ ストーリー ⑨